FC2ブログ
東北大学 虹色みとこんブログ
東北大学生のセクシュアルマイノリティの当事者、また、自分のセクシュアリティについて考えている者が、交流できる場を創出すること目的としたサークル、虹色みとこんのブログです。

プロフィール

虹色みとこん

Author:虹色みとこん
虹色みとこんは東北大学生のセクマイ当事者を対象とした、セクシャルマイノリティ―サークルです。
連絡先:rb_mitocon@yahoo.co.jp
ツイッター:@rb_mitocon



カテゴリ



最新記事



最新コメント



アクセス数



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



Twitter



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



初めましての自己紹介とか。(悠)

初めまして、この3月から虹みとメンバになりました準新人の悠です。
現在工学研究科のM2で、Age25/MtX(X7:F3くらい)/性指向はF対象ノンセク/性嗜好はライトな百合です。趣味とかも要りますかね?
先の交流会でも口数少なだったので、ここで自己紹介をば。重めかもです(当社比)。

私は今年になってからセクシュアリティについて対外的に動き出したまだ駆け出し(なにがだ?)のMtXです。現在は東京の精神科でカウンセリングを受けており、他のセクマイ系の集まりに顔を出したりもしています。
2年前からフライングでホルモン剤の服用もしています。染色体は正常男性でした(ちょっと残念)。

私は本名の時は完全クローゼットですが悠の時は結構適当になりつつあります。8月に強制的に自分が性別違和であると親バレする可能性が高く、焦っているというよりもはや自暴自棄になりつつあります、ダメですね。

大体5年くらい前から性別違和について調べ始め、2年前からフライングホルモン服用を始めています。私は性別違和としては全く中核的(幼い頃から強い違和があったり、SRS必須だぜ!とかRLEやってるぜ!みたいな人)ではなく、なので精神科の診察も慎重ですし、自分でも今のところMtXと名乗っています。ただし現行のDSM-5では「経験した/表現した性別と指定された性別との著明な不一致」があれば性別違和とされるそうで、そこで行くと自分も性別違和だとも考えています。まあ当事者で判断するのは危険でもあるのですが。

私は2013年に大学院から仙台に来たのですが、来ると同時にホルモンを始めました。その時はまだ他人に言う気や精神科を受診するつもりは全くなかったのですが、色々色々あって今年の2月ごろから対外的に動き始め、ネットで虹みとを探し当て、今に至ります。
ちなみにですが虹みとは別に怪しい団体ではないです(笑)。メンバの特性上、本名住所が学校に握られても良いという方が常に一定数集まるとは限らないので公認になれないですが、学生相談にごますりにお願いに行ったりまともなサークルです!準新人が言っても説得力ないかもしれませんが、自分も怪しんでたので(笑)。

現在残念ながら虹みとにTの方は少ないです、私の話でよければ還元しても良いのですが。
LGBPの皆さん、ここにはリア充してる仲間がいます、是非一度会ってみてはどうでしょうか。
T、Aセク、ノンセク、それ以外のセクシュアリティの皆さん、Help me. 同じセクシュアリティの当事者はあまりいませんがセクマイ仲間ならたくさんいます、LGBTsに興味がある、会って話をしてみたい、会いたかないけどtwitterでなら話してもいい、そんな方がおられましたら是非連絡してみてくれませんでしょうか。
まだ自身のセクシュアリティに悩んでいるQの方もここで多様なセクシュアリティに出会えるというのは貴重なのではないでしょうか?かくいう私もまだ確立してるわけではないですし。
ていうか個人的にオープンにできる友人募集中です。(←重要)
なお一見さんの方でも現メンバの方でも質問があれば遠慮なくどうぞ。セクシュアリティのことでも違うことでもどうぞ。

ではでは長文乱文失礼しました。
悠(twitter:@Lapin_Cornu)

交流会を開催しました!

こんにちは!虹色みとこんのあかりです。
この度ショウさんから代表を引き継ぎ、2015年度代表を務めることになりました。
至らない点も多々あるかと思いますが、精一杯みとこんを盛り上げていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。


さて、早速ですが先日は今年度初交流会でした!
レズビアン、ゲイ、バイ、パンセク、トランスさんとセクシャリティ的に豪華な顔ぶれで、笑
GW真っ只中でしたが8名のメンバーが集まってくれました。
真面目な性の話からぶっちゃけ話まで、とても楽しい時間を過ごせて嬉しく思います!

みとこんで集まると毎回思うのですが。
セクシャルマイノリティ、とひとくくりにサークル活動をしてはいても、それぞれいろんな方が集まり、お互いの事で分からないこともあります。
特に、ほぼ毎回恒例な気がするのですが、レズビアンからゲイ、またはゲイからレズビアンへ、「こっち界隈では○○だけどそっちはどうなの!?」といった質問が飛び交うのがとっても楽しいです。笑
分かる!!という共感もあれば全然違うんだね!という発見もあり…本当に話題が尽きません。


少数派として普段は言えずにいることを、何も恐れる必要なく、堂々と、楽しく、何でもさらけ出してしまえる空間が、セクマイサークルの醍醐味だと思っています。
少数派のなかにもさらにさまざまな人がいますし、全てを共有することはできないのかもしれませんが。
でも少なくとも、性について、何を思っていても、それを変だとか、笑ったりだとかするようなメンバーは一人もいないです。し、これからもそんなサークルであり続けたいなーと思います。


最後になりましたが、みとこんではまだまだ、いつでも新規メンバーを募集しています!
メンバーのほとんどが途中参加ですし、いままで一度もマイノリティの人に会ったことがなかった、カミングアウトをしたこともなかった、という人もいます。
プライバシー上、正式な大学サークルとしては申請を出すことができずにいますが、決して怪しいサークルではございません!
(去年はそれで参加を躊躇ったという話も聞いたので、念のため…)

質問や仮加入、お試しに数人のメンバーとお茶だけ…などでも、興味を持ってくれた方がいらっしゃいましたら、お気軽にメールをくださるとうれしいです。
アドレスはrb_mitocon@yahoo.co.jpです。
所属学部や学年、本名などについてどこまで明かすかは本人に任せるという形をとっていますので、ハンドルネームだけでのメールでも大丈夫です。


では、長くなってしまいましたが!
これからも虹色みとこんをよろしくお願いします!



虹色みとこん あかり

DSC_3205.jpg

ごあいさつ

こんにちは、ショウです。
先日はお忙しい中、交流会にお越しくださりありがとうございました。
ささやかながらも楽しい会になったと思います。
今まで何度も参加してきた交流会もこれで最後かと思うと、なんだか寂しく感じます。

自身もつい昨日大学を卒業し、みとこんも世代交代の時期となりました。
今年度は自分が当サークルの代表を務めさせていただくことになったんですが、実は集団の代表的な位置についたのは小学校のグループ活動以来なんですよね。
調子こいて慣れないことをし、迷惑をかけてしまったこともありましたが、そうした時でも文句を言わず優しくフォローしてくださったメンバーの方や他団体の方には本当に感謝しております。
ありがとうございました。


さて虹色みとこんは東北大のセクマイが集まるサークルですが、こうした場で同じ立場の人々に出会ったり、自分の思いを素直に語ったりできることは、セクマイ当事者――特にクローゼットの方にとって、とても大きなことだと思います。
では自分自身もそうしたセクマイサークルならではの特徴ゆえに興味を持ち、参加を続けてきたのかと言えば、そうではありません。
率直なところ、自分がセクマイであることを何となく理解しつつも、特にそれについて悩んだこともありませんし、同じ立場の人々に話したり相談したりしたいと感じたこともありませんでした。
しかし、それでも当サークルは自分にとって重要なものでありました。
それはなぜか?
自分はこのサークルでの出会いや教わった知識を通じて、考える機会を得ることができたからです。
自身のセクシュアリティについて。それに基づいた生き方や他者との関わりについて。
こうしたことについて考えることで、自分のあるべき最も居心地のよい形を見つけることができると同時に、様々な人の在り方について寛大な視点を獲得することができました。
今の自分は、みとこんがなければ確実に存在しえなかったでしょう。

みとこんは特に何か積極的な活動をするわけではありませんし、セクマイに関するまじめな議論を頻繁に交わし合うこともあまりありません。
することといえば、仲間と集まってのんびり話をすることが大半です。
しかしだからといって、決して当サークルが無意味なわけではなく、活動を通じて自分にとって刺激となるものをつかみ取ることができます。
そうした機会を与えてくれるのが、みとこんの大切な役割の一つだと思います。
人により当サークルの意味するところも、そこからつかみ取れるものも様々でしょうが、みとこんでの活動を通じて得られるものが、皆様にとって良いものであることを願っております。


では最後に自身の歌の引用をもって締めさせていただきます。

 僕の行く先にユートピアはない
 踏みしめた土の上 虹の花を咲かす

世界は少しずつ良い方向へと変わりつつありますが、常に満足できる結果がもたらされるとは限りません。
セクマイとしての不自由を強いられたり、仕方なく周りに合わせたりすることもあるかもしれません。
ですが、たとえそうした中でも、セクマイであることをはじめとする自分らしさは見失わずにいたいものです。


それでは皆様、長い間ありがとうございました。
今後も虹色みとこんを、どうぞよろしくお願いします。


 平成27年 3月
 虹色みとこん代表・自称芸術家  さねかずらショウ



続 空想劇場 ―「そいつ」の視点―

*前作、『空想劇場 ―休日の午後―』の続編となるフィクションです
――――――――――――――――

君には「性別があった。」

大多数と同じで、私とは違う。
そんなふうに違いがあることは、大して意味のあることじゃないだろう。
少なくとも私にとって、それは重要なことではない。
だけど君はその違いのために私に興味を持ったようだった。

初めて君と会い、性別のない私のことを語った時、君はこう言った。
「それは素敵な考え方なのかもしれない。
 だが、性別がないなんていうのは、結局のところ理想論じゃないか?
 たとえ君の中にそうした概念がなくても、現実にはそれを強いられるし、
 実際、君もそれに従うことがあるのだろう?」と。

その時、私はこう言ったはずだ。
「確かに性別はある。
 至るところに、あらゆるところに。
 だけど、きっと全てじゃない。
 その一つとして、私の世界があってもいいと思わないか?
 何も逆らうというのではないよ。それは私のやり方じゃないからね。」と。

すると君はこう言うんだ。
「でも、そんなの辛いじゃないか。
 自らの世界と、周りの世界が全く違っているなんて、あんまりにも孤独だ。
 君の世界を肯定する人はそんなに多くはないだろう。
 何故わざわざ自ら辛い思いをするんだ。」と。

君はそうやって私のことを心配してくれていたんだね。
確かに私はこれを「選んだ。」
選択肢は他にもあっただろうからね。
それでも、私はこれを選んでしまった。
より正確に言うなら、どうしてもそうしたかったんだ。

これは君が思っているほど辛いことじゃないよ。
むしろ私は、自分がこう在れて良かったとさえ思っている。
だって世界がこんなにも広く、美しく見えるのだから。

今はこんなふうに楽天的だが、いつかこのことで悩む時が来るのかもしれない。
それは、今を生きる私には到底わからないことだ。
だが、仮にその時が来るのだとしても、それはその時に悩めばいいことだ。
なんと愚かなことだ、と君は思うことだろう。
でも私は少しでも長く、この世界を楽しんでいたいんだ。
そう、それがたとえ「つくりもの」の世界だったとしても。

お互いのことを話しても、君は相変わらず君のままだったし、私も私のままだった。
きっと君は今でも、私の考えに納得してはいないんだろう。
別にそんなもの必要ないんだけどね。
だってそんなことをしなくても、私たちは互いを受け入れ、
良い関係を築いていたのだから。
分かり合えるか否かにかかわらず、私は君を気に入っていたんだ。

ねぇ、君はどうなんだい?
単なる興味とは別に、ほんの少しでも私と同じ気持ちがあったのだろうか?
たとえなくても、私が君を大切に思うことに変わりはない。
だけど、もし君にも同じ気持ちがあったのなら、
……やっぱりそれは嬉しいかな。



空想劇場 ―休日の午後―

 *この話はフィクションです
――――――――――――――――

そいつには「性別がなかった。」

ただしそれは、社会的に性別が与えられていなかったという意味ではなく、
生物学的にどちらとも判別できなかったということでもない。
さらに言えば、外見が中性的であったという訳でもない。

では一体どういうことなのかといえば、
少なくともそいつの中では、性別という概念が存在しなかったのだ。
そして、そこから導かれる当然の結果として、
同性愛、異性愛といった概念も存在しなかった。

それはそいつにとって、呼吸をするのと同等に当たり前のことだった。
一方で「性別を持つ」僕にとってのそれは、どうにも解せぬ事柄だった。
だけど、そういった訳のわからなさにもかかわらず、
僕はどことなく心が惹かれる思いを感じるのだった。

それはすごく自由だった。
だけどちょっぴり不自由だった。

それはなかなか辛いことだった。
だけどそれだけ楽しいことだった。

そのような奇妙な感覚がきっかけとなり、
僕はそいつに、そしてそいつの心のあり方に興味を持つようになった。
以来、僕らは親しく関わり合うようになっていた。
だが、どんなに長いこと一緒にいても、
そいつのことは相変わらずよくわからないままだった。

わからないことを、わからないままにするのは、ある意味では良いことかもしれない。
だからこそ楽しめるものもある。
だからこそ広がる世界もある。
しかし、相手のことをより深く知りたいという気持ちがあっても、
決して不自然なものではないだろう。

だから僕はある時、そいつに直接尋ねたのだった。
「人が名付けた恣意的なカテゴリにとらわれず、
 あるものをないと言い、ないものをあると言い、
 僕らが決して越えられないと信じて疑問すら抱かない壁を
 当たり前のようにすり抜ける、君は一体何者なんだ。」と。

するとそいつは笑って答えたのだった。
「自分は何者でもない。」
そしてこう付け加える。
「敢えて言うのであれば、ただの人間、
 自分という、ただの人間です。」と。

今でもそいつは、そんなことを言っているのだろうか。
これからもそいつは、そんなことを言い続けるのだろうか。
僕は「ただの人間」には、ならなかった。
今なお「ある種の人間」として生き、与えられた役割をこなしている。
それでも僕は、そんな自分の生き方に満足していた。
そいつは自分の生き方に満足しているのだろうか。

「ある種の人間」としてでも、「ただの人間」としてでも、
そいつが自ら選び取ったやり方で、どうか幸せになったほしい。
まるで永遠に続くような休日の午後。
なぜか僕はそんな風に、そいつのことを思い出してしまうのだった。