東北大学 虹色みとこんブログ
東北大学生のセクシュアルマイノリティの当事者、また、自分のセクシュアリティについて考えている者が、交流できる場を創出すること目的としたサークル、虹色みとこんのブログです。

プロフィール

虹色みとこん

Author:虹色みとこん
虹色みとこんは東北大学生のセクマイ当事者を対象とした、セクシャルマイノリティ―サークルです。
連絡先:rb_mitocon@yahoo.co.jp
ツイッター:@rb_mitocon



カテゴリ



最新記事



最新コメント



アクセス数



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



Twitter



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



空想劇場 ―休日の午後―

 *この話はフィクションです
――――――――――――――――

そいつには「性別がなかった。」

ただしそれは、社会的に性別が与えられていなかったという意味ではなく、
生物学的にどちらとも判別できなかったということでもない。
さらに言えば、外見が中性的であったという訳でもない。

では一体どういうことなのかといえば、
少なくともそいつの中では、性別という概念が存在しなかったのだ。
そして、そこから導かれる当然の結果として、
同性愛、異性愛といった概念も存在しなかった。

それはそいつにとって、呼吸をするのと同等に当たり前のことだった。
一方で「性別を持つ」僕にとってのそれは、どうにも解せぬ事柄だった。
だけど、そういった訳のわからなさにもかかわらず、
僕はどことなく心が惹かれる思いを感じるのだった。

それはすごく自由だった。
だけどちょっぴり不自由だった。

それはなかなか辛いことだった。
だけどそれだけ楽しいことだった。

そのような奇妙な感覚がきっかけとなり、
僕はそいつに、そしてそいつの心のあり方に興味を持つようになった。
以来、僕らは親しく関わり合うようになっていた。
だが、どんなに長いこと一緒にいても、
そいつのことは相変わらずよくわからないままだった。

わからないことを、わからないままにするのは、ある意味では良いことかもしれない。
だからこそ楽しめるものもある。
だからこそ広がる世界もある。
しかし、相手のことをより深く知りたいという気持ちがあっても、
決して不自然なものではないだろう。

だから僕はある時、そいつに直接尋ねたのだった。
「人が名付けた恣意的なカテゴリにとらわれず、
 あるものをないと言い、ないものをあると言い、
 僕らが決して越えられないと信じて疑問すら抱かない壁を
 当たり前のようにすり抜ける、君は一体何者なんだ。」と。

するとそいつは笑って答えたのだった。
「自分は何者でもない。」
そしてこう付け加える。
「敢えて言うのであれば、ただの人間、
 自分という、ただの人間です。」と。

今でもそいつは、そんなことを言っているのだろうか。
これからもそいつは、そんなことを言い続けるのだろうか。
僕は「ただの人間」には、ならなかった。
今なお「ある種の人間」として生き、与えられた役割をこなしている。
それでも僕は、そんな自分の生き方に満足していた。
そいつは自分の生き方に満足しているのだろうか。

「ある種の人間」としてでも、「ただの人間」としてでも、
そいつが自ら選び取ったやり方で、どうか幸せになったほしい。
まるで永遠に続くような休日の午後。
なぜか僕はそんな風に、そいつのことを思い出してしまうのだった。

スポンサーサイト


コメント


コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


トラックバック

トラックバック URL
http://rbmitocon.blog.fc2.com/tb.php/61-ac229c87
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)